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Posted on 2013-05-31神の紙束(かみのかみたば)
私は以前、大学で教えていた頃、授業(講義)の最後の10分で、学問とは無関係な話をすることにしていました。学生達には、興味深かったり、人生や生活の役に立つ可能性のあるお話です。それらの話は、(免疫学や病理学の)学問の話より、学生達はよく覚えています。今回は、そんな話の中でも、好評だったお話を紹介します。
神の紙束(かみのかみたば)
昔々、神様はたくさんの紙の束を持っていました。いずれの紙にも、男の名前と女の名前が書かれていました。ところが、神様は何を思ったのか、突然紙を真ん中あたりからビリビリと破き、世界中に撒いたのです。
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Posted on 2013-05-15A Terrible Story in NY 第3話(ブラックベイビー )
私がニューヨーク(NY)で住んでいた36-37年前、日本人の間で良く話題になったThree Terrible Stories in NYがあります。いずれも、日本では考えられないお話です。その内の第1話(ケアレスミスの悲劇)と第2話(悪魔のベビーシッター)は、既にこのHPのブログに紹介しました。今回は、第3話(ブラックベイビー )を紹介しましょう。
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Posted on 2013-04-15A Terrible Story in NY 第2話(悪魔のベビーシッター)
私がニューヨーク(NY)で住んでいた36-37年前、日本人の間で良く話題になったThree Terrible Stories in NYがあります。いずれも、日本では考えられないお話です。その内のA Terrible Story in NY 第1話(ケアレスミスの悲劇)は、既にこのHPのブログに紹介しました。今回は、第2話(悪魔のベビーシッター)を紹介しましょう。
第2話(悪魔のベビーシッター)
日本では家に子供達を置いて、夫婦が外へ遊びに行くことはほとんどありません。日本では、他人の目が気になるし、子供を放置して遊びに行くのは、何となく罪な行動のような、罰が当たりそうな、後ろめたい気持ちになるからでしょう。 (さらに…)
Posted on 2013-03-03賢い泥棒たち
今日は、肩の凝らない、気楽な話をしましょう。あなたもこの種の話をご存じでしょうが・・。
賢い泥棒たち
以前に私の同僚であったAさんは、その頃40歳代の独身女性で大手の企業に勤務し、大阪市内のとあるマンションの2階に住んでいました。その日彼女は、会社から命じられた東京への2泊3日の出張を終え、3日目の夜になってマンションへ帰ってきました。 (さらに…)
Posted on 2013-02-21角辻先生の後ろを歩くと
今回も以前の作文を紹介します。約10年前、看護大学医短部に在職中に、ある機関紙のために書いた文章です。若き日の胸の高ぶりが蘇ります。
角辻先生の後ろを歩くと
大阪府立看護大学医療技術短期大学部 部長 北村 肇
毎年5月初めの黄金週間に、角辻先生夫妻と中村先生夫妻(両先生は大学の先輩)と共に3組の夫婦で旅行に行き出して20年近くなります。3-4泊の旅行で、遠くはネパールやバンコック、屋久島、沖永良部、八丈島、隠岐、利尻などの日本近海の島々、近くは奈良・吉野までご一緒させて戴きました。 (さらに…)
Posted on 2013-01-09私の中の大阪人
謹賀新年 皆様には夢多き新年をお迎えのことでしょう。私は、年賀状で「胆石摘出オペ、 最後のペット猫の死、CDリリース、音楽会、退職、PMRに罹患、HP立ち上げ‥‥私のこの1年の7大事件です。老化現象と戦いながら、こんなexciting lifeを送れる幸運に感謝」と書きました。後から気付いたもう一つのニュースは、奈良市から“奈良市優待乗車証” (バスが1回100円で乗れる)が送られて来たことです。こうして公私共に認める老人になりました。それでも、教え子達が遊びに来てくれるし・・今年も前を向いて頑張ります。どうぞよろしくお願いします。
本年最初のブログは、またまた以前に書いたエッセイです。約200年前、大阪に懐徳堂という学問所が開学しました。今の大阪大学の前身です。その資料を公開したり、精神を一般に伝える活動をしているのが、大阪大学の中にある懐徳堂記念会です。7年前、この記念会から依頼を受けて、その機関紙「懐徳堂だより」の巻頭エッセイに書いた拙文を紹介します。
私の中の大阪人
大阪府立看護大学医療技術短期大学部 部長 北村 肇
2年前、私が学科長であった大阪府立看護大学医療技術短大部の臨床検査学科の学生達がNHKテレビ“試してガッテン”に出演することになった。 (さらに…)
Posted on 2012-11-16A Terrible Story in NY 第1話(ケアレスミスの悲劇)
大阪府立看護大学医療技術短期大学部の部長であったときから、私は、大阪公立大学共同出版会の立ち上げに参画し、その理事を務めています。その出版会の機関紙からの依頼を受け、平成16年に書いたものを紹介します。
グローバル社会を生き抜くために
私は学生講義で屡々終業ベルの数分前に講義を終え、学生に‘雑談’と称する、学問には直接関係のない話をして帰ります。雑談と言っても、できるだけ学生諸君には興味深く、将来役に立ちそうな話や考えさせられる話を用意しています。今日はその中から。 (さらに…)
Posted on 2012-10-25二つの優雅な創造
大阪大学医学部卒業生の機関紙である“学友会ニュース”に載った拙文をご紹介します。平成10年、私が大阪府立看護大学医短部で教鞭をとっていた時代に書いたものです。
二つの優雅な創造
大阪府立看護大学医療技術短期大学部 北村 肇(S41卒)
私は子供時代、絵、習字、音楽などのアート関係の科目は不得意だった。音楽について言えば、楽譜なるものとはじめてまじめに向き合ったのは、大学で合唱部に入ってからであると思う。 (さらに…)