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Posted on 2013-01-09
私の中の大阪人

謹賀新年 皆様には夢多き新年をお迎えのことでしょう。私は、年賀状で「胆石摘出オペ、 最後のペット猫の死、CDリリース、音楽会、退職、PMRに罹患、HP立ち上げ‥‥私のこの1年の7大事件です。老化現象と戦いながら、こんなexciting lifeを送れる幸運に感謝」と書きました。後から気付いたもう一つのニュースは、奈良市から“奈良市優待乗車証” (バスが1回100円で乗れる)が送られて来たことです。こうして公私共に認める老人になりました。それでも、教え子達が遊びに来てくれるし・・今年も前を向いて頑張ります。どうぞよろしくお願いします。

 本年最初のブログは、またまた以前に書いたエッセイです。約200年前、大阪に懐徳堂という学問所が開学しました。今の大阪大学の前身です。その資料を公開したり、精神を一般に伝える活動をしているのが、大阪大学の中にある懐徳堂記念会です。7年前、この記念会から依頼を受けて、その機関紙「懐徳堂だより」の巻頭エッセイに書いた拙文を紹介します。

私の中の大阪人

大阪府立看護大学医療技術短期大学部 部長  北村 肇

 2年前、私が学科長であった大阪府立看護大学医療技術短大部の臨床検査学科の学生達がNHKテレビ“試してガッテン”に出演することになった。収録のため東京NHKから数人が我々の教室にやって来た日、学生達の実験だけでなく教師が登場する講義風景をも撮りたいと言い出した。アレルギーがテーマなので免疫学の教師が良いということになり、私がやることになった。収録の時間となり「では始めましょうか?」のNHK氏の言葉で私が立ち上がると、NHK氏が怪訝な顔をして言った「あのぅ、白衣を着て戴いた方が…」。言われて自分が半袖カッターとジーンズの教師らしくない格好であることを改めて意識したが、私「白衣は嫌いです。白衣を着て講義するのはモットーに反しますので、すみませんがそれはお断りさせて下さい。」NHK氏「(画面に出てきたときに)すぐに教師だと分かる方が良いのですが…。では、上からジャケットでも着て戴いて…」これには私も「分かりました」と賛成し、黒いジャケットを羽織って現れると「あのぅ、腕まくりはやめて戴いた方が…」私「すみません私のスタイルですから、このままでやらせて下さい。」これでNHK氏も折れて収録が始まった。はじめての経験で戸惑いながら、とにかく約40分に及ぶ収録は終了した。後日のテレビ放送で私が出現したのはごく短時間のショットが3-4回で、合計しても5秒にも達していなかった。ただし、さすがNHKの全国放映で、長い間会っていなかった遠くの友人達を含め多くの人々から“TVで見た”の電話やメールをもらった。また数カ月後に学会で会った他学の研究者達も見たと言った。誰も「服装が変…」とは言わなかった。

 私はS41年に大阪大学医学部を卒業し、その後は大阪府職員として臨床医→研究者→教師と変貌し、最後は短大部の運営責任者として勤めて来た。このうち、一番長く楽しかったのは研究者時代であったが、その最中にふと研究室と家の往復しかしない自分に気が付き、社会的な視野狭窄に陥る不安を覚えた。そこでワイフと1984年1月に始めたのが“サロン・ド・K”と称する種々の分野の専門家の話を仲間と共に聞く会である。“知るは喜び”を主たるコンセプトとし、ここでの“知”や“学”は直接仕事に役立つ訳ではないが、視野を広め人生を豊かにすると考えている。メンバーは種々の職業の約60人(例会参加者は平均30人)例会は10回/年、友人達の賛同・協力のおかげで現在22年間続いている。テーマは何でも良く、“南極越冬体験”や“オペラ”などの文化・芸術から“TVの構造”や“遺伝子組み換え”などの科学まで広範囲に及ぶ。私はこのサロンを趣味の1つとして楽しく運営しているが、苦労があるとすれば良い講演者の確保であろう。今夏、あるパンフレットに懐徳堂についての講演があることを知ったのをきっかけにして懐徳堂記念会にこのサロンでのご講演をお願いしたところ、快諾戴き、柏木先生に「懐徳堂、その歴史と意義 ─現代への指針─」のタイトルで講演して戴いた。柏木先生のお話は非常に分かりやすく、懐徳堂の創設経緯、運営のためのルール、授業内容、輩出した偉人達、更には現在の(財)懐徳堂記念会の事業まで、広範囲のお話で当日のサロン参加者は全員大満足であった。私が特に興味深かったのは、懐徳堂が町人によって創設・運営されたことである。当時の大阪人は学問に大いなる意義を見出し、自分の子弟の思想や知識へ投資をしたことになる。ここに大阪庶民の広い度量、遠い未来への夢と大きなエネルギーを感じる。また、“江戸幕府の学問所である昌平黌では教授も受講生も裃(かみしも)姿で正装していたが、懐徳堂では学風には厳格でもリラックスした服装で講義していた”を知り、私は冒頭の話を思い出した。形式よりも実質を、お上や役人からの押しつけよりも自分たち自身の自由な発想による行動を大切にする2百年前の大阪人の気風(遺伝子?)は脈々と受け継がれ、自分の中にもしっかり生きていることを知り、私はニヤリとした。大阪人万歳!


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