ブログ

Posted on 2013-05-31
神の紙束(かみのかみたば)

私は以前、大学で教えていた頃、授業(講義)の最後の10分で、学問とは無関係な話をすることにしていました。学生達には、興味深かったり、人生や生活の役に立つ可能性のあるお話です。それらの話は、(免疫学や病理学の)学問の話より、学生達はよく覚えています。今回は、そんな話の中でも、好評だったお話を紹介します。

神の紙束(かみのかみたば)

昔々、神様はたくさんの紙の束を持っていました。いずれの紙にも、男の名前と女の名前が書かれていました。ところが、神様は何を思ったのか、突然紙を真ん中あたりからビリビリと破き、世界中に撒いたのです。

私たちは、その半分の(自分の名前が書かれている)紙を持って生まれてきます。元の1枚の紙の相手に遭遇すると、二人は理想の、神様が保証する最適のカップルが誕生します。しかし、神様は気まぐれで、破いた紙を全世界に、過去から未来に、広く長く撒いたのです。そのため、私たちは元の紙の相手に会うのは非常に難しいのです。

私は、この話を学生たちに話すとき、ここで連中に質問します。「この話の行方は、だから私たちは○○すべき・・という教育的アドバイスに発展します。どんなアドバイスになるのでしょう?予想して下さい。だから我々はどうすべきと言うのでしょう?」と。すると、殆どの学生たちの答えは、「(配偶者を見つけるに当たって)私たちは、あくまでも妥協せず、元の1枚の紙の人物が現れるまで待つべき」というのと、「会うのが難しいのだから、サッサと適当なところで妥協するのが良い」の二つです。もちろん、その二つもお話としては成立するでしょう。

ところが、この話の行方はそうではありません。答えを述べます。通常の夫婦が互いの紙を見せて、合わせてみると、一部は重なったり、別の部分は穴が開いていたりしています。その重なりや穴の部分など細かいことを気にしていると、「私たちは合わない、とても夫婦ではいられない・・」となります。でも、神様は紙を、真ん中付近からびりびりと破いたのですから、重なりや穴はそれほど大きくなく、大きな(広い)目で見ると、それはだいたい1枚の紙に見えるのです。夫婦が心を寄せ、紙を寄せ合うと、それは1枚の紙としてちゃんと使えるのです。ですから、結論は「元の1枚の紙でない場合でも、ちょっと見方を変えると、十分1枚の紙として使える」です。

また、学生たちに訊きます。「では、1枚の紙として見るためには何が必要?」と。「愛情」、「広い心」、「協力」、「譲り合い」、「謙虚な心」などと答えてくれる学生は、この話を理解し、将来自分と家族のために頑張れる人でしょう。

ここで、学生たちにもう一つ別の質問をします。「皆さんのお父さんとお母さんはどうですか?両親が元の1枚の紙だと思う人は手を挙げて下さい」。すると学生たちはニヤッと笑ったり、「全然違う」とか「絶対別の紙!」という表情をします。当然でしょう。ところが(計500人位に話しましたが、そのうち)2人だけ、ハイッとしっかり手を挙げる学生がいたのです。その学生には「あなたは非常に幸せな人です。あなた自身も元の1枚の紙の人に出逢って幸せに暮らして下さい」と私は言いました。


RSS Feed  Tags:
Posted on 2013-05-31 | Posted in ブログ | Comments Closed

Related Posts