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Posted on 2012-11-16
A Terrible Story in NY 第1話(ケアレスミスの悲劇)

大阪府立看護大学医療技術短期大学部の部長であったときから、私は、大阪公立大学共同出版会の立ち上げに参画し、その理事を務めています。その出版会の機関紙からの依頼を受け、平成16年に書いたものを紹介します。

グローバル社会を生き抜くために

  私は学生講義で屡々終業ベルの数分前に講義を終え、学生に‘雑談’と称する、学問には直接関係のない話をして帰ります。雑談と言っても、できるだけ学生諸君には興味深く、将来役に立ちそうな話や考えさせられる話を用意しています。今日はその中から。 私は25年前、留学で米国はニューヨーク(NY)のマンハッタンに住んでいました。まだ治安の悪い頃で、街で囲まれて金を取られたなんて話は日常茶飯事で、昨夜近所のドラッグストアのオヤジが店に入って来た男にピストルで殺された、なんて話までありました。では暮らしにくいかというと逆で、美術館、ミュージカルをはじめ種々の文化・芸術を楽しむことができ、‘NY is exciting.’を実感して暮らしていました(本職の研究もしっかりやっていましたので、どうぞご安心を)。数ヶ月に一度位は日本人研究者が家族同伴で集まることがありました。そんな日本人仲間でThree Terrible Stories in NY と呼んでいた3つの実話のうちの一つを紹介します。

第1話(ケアレスミスの悲劇)

 1975年頃、ある商社マンが新婚の奥さんをつれてNYへ赴任してきました。この奥さんはNYに来てから運転免許を取りました。保険加入は手続き中で完了していませんでしたが、車を買い乗り始めたある日、事件が起きました。彼女はアパートを出て歩道を横切り、車道に置いてあった自分の車に乗りました。彼女の車の前には別の車があっため、発車のためにはいったんバックする必要がありました。彼女は運転席から身体をねじって振り返り後ろの窓から外を見、誰もいないのを確かめバックさせたところ、なんと、彼女の車の下で遊んでいた黒人の幼児を轢き殺してしまったのです。もちろん彼女に殺意はありませんので、ケアレスミスによる事件でした。これが悲劇の始まりです。彼女は裁判を受ける事になり、結審後投獄されました。そしてなんと!30年近く経った今も彼女は監獄にいるのです。更に悲劇の極めつけは、彼女が生きて監獄を出て来る可能性がゼロということです。何故?われわれ日本人にはなんとも不思議で理由を知りたくなります。それは二つの大きな理由によります。①米国では懲罰は加算されるそうです。すなわち、×× 罪で50年、○○罪で60年…と、これらを加算すると、過失致死でも合計300年の懲役になったりする訳です。少々模範囚でいても300年が250年になる程度だそうです。故意による殺人でも10年前後で出所できるどこかの国とは大きな差です。②被害者側との金銭による示談という手段もありましたが、賠償提示額が莫大で、保険を使えない立場では個人で用意するには不可能でした。亭主や親が死ぬまで貯めてもとても届かない額だったそうです。以上二つが主な理由で彼女は一生監獄暮らしというわけです。この話、まだこれでは終わりません。彼女が監獄に入って数年後、商社マンの亭主に会社から帰国命令が出ました。そして亭主は日本に帰りました。そうなると、彼女に面会に行くのも簡単には行けなくなり、とうとう離婚と同じ状態になってしまいました。話はここまでです。

 そこで学生達に言います、「通常の離婚は愛情がなくなることが原因である。この場合はケアレスミスが原因である。世の中にはこんなことが起こり得る。」と。

 この話、われわれにはなんとも不条理で、本人や家族の気持ちを考えると、胸が痛くさえなります。実は私にはラリー・KというNY時代の同僚で、今ではある大学の副学長の大の親友がいます。彼とは今でもメールや贈り物でコンタクトがあり、また米国への学会ではいつもNYへ寄って会って来ます。そのラリーにこの話をしてみたところ、彼はすぐに言いました。「事件そのものはケアレスで誰にでも起こりうるが、悲劇を避けられなかったのは、2つの大きなミステークがあるからだ。一つは保険に入ってなかったこと、もう一つは事件のすぐ後で思い切って大金を用意して良い弁護士を雇わなかったこと。」保険についてはわれわれ日本人も分かりますが、弁護士の件は通常の日本人には馴染みが薄く、まして現地の友人がいない状態では、うまく立ち回るのはまず無理と思われます。

 NY時代に聞いたTerrible Storiesの一つを紹介しました。グローバルな時代、予期せぬ事態にも対処するには、世界人としての広い意識と強い意志が要るような気がして……。

 先日「自己責任」という言葉がマスコミで話題になりました。そんな時代にも拘わらず、現在大学入学のセンター試験では、当日受験票を忘れてきた受験生用に、その場でインスタントの受験票と写真作成のためのカメラや係を用意しておくことが、国から定められています。忘れてきたのは単なるケアレスミスなので救済しようとするものでしょう。この制度は、私には過保護としか見えず、どうも賛成できません。ここに述べたTerrible Storyほどではなくても、社会ではケアレスミスでダメになることはたくさんあり、それを知らしめるのもまともな教育だと思うのです。人生において、学生である時間よりもその後の人生の方がはるかに長いはずです。教育とは、学生の間に完結するものではなく、学生生活の後の実社会で生き抜くための礎であるべきだと考えます。これからは、われわれ教員は学生たちをグローバル社会へと送り出すという意識を持たねばならないと思います。彼らがグローバル社会で生き抜けるように、誰かが尻ぬぐいをしてくれる…と教えるのではなく、自己の判断と強い意志を各自が持てるような教育をすべきだと思います。


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